M's blog
フルート奏者、新井道代のブログです。バロック時代のフルート(フラウト・トラヴェルソ)を中心に、その他の時代の古楽器、また、モダン・フルートでも演奏活動を行っています。 トラヴェルソのワークショップも行っています。 トラヴェルソ、モダン・フルートともに生徒さん随時募集中です。
2024年10月19日土曜日
落語
2024年10月2日水曜日
YouTube
今日は夏に逆戻りで暑かったですね!
8月18日のムジカ・ピーノでの街角コンサートから、ボワモルティエのトリオ・ソナタの第1楽章をYouTubeにアップしました。
2分弱です。
お時間ございましたらぜひご覧くださいませ♪
https://youtu.be/Eem5gN58FJI?si=0S8clXCVgx6saAc2
さて、おそ~い夏休みの気分で、最近はそこここへ出かけています。
少し前に、フランス語の先生とその仲間と、国分寺散策に行きました。
こちらは、駅から近い所にある殿ヶ谷戸公園。
2024年9月23日月曜日
無事終演しました
昨日のコルテ・デル・トラヴェルソvol.25 「フランス革命を生きた音楽家たち」は無事に終演いたしました。
信頼する仲間とともに、アンサンブルを楽しめたと思います。
ご来場くださった皆様、応援して下さった皆様、有難うございました。
昨日のアンサンブルでは、また継続して演奏していけたらと思っています。
またぜひよろしくお願いいたします!
2024年9月20日金曜日
イヤサント・ジャダン
♪22日の演奏会「フランス革命を生きた音楽家たち」に登場する音楽家紹介♪
今日は、イヤサント・ジャダン(1769-1800)です♪
ヴェルサイユ宮殿でファゴット奏者として働いていた父を持つジャダンは、マリー=アントワネットが招いた一流の音楽家達を間近に見て育ち、9歳にして自作品が音楽雑誌に掲載され、その4年後にはコンセール・スピリチュエルで自作のピアノ協奏曲を演奏するという、早熟な音楽家だったようです。
1792年に作曲家でピアニストの兄を頼ってパリに移り、フェドー座でアシスタントとして働き始めます。
フェドー座は、ヴァイオリン奏者、ヴィオッティが設立した劇場で、オーケストラには優秀な奏者が集まっており、パイジェッロやチマローザ、モーツァルト、ドゥヴィエンヌらのオペラを上演し、また、ハイドンの交響曲なども演奏し人気を博していました。
いわゆる恐怖政治が敷かれた1793年~94年には、フェドー座は一時閉鎖に追い込まれますが、94年11月には再開され、入場券を入手するのに3~4時間待つほどの盛況だったそうです。
1795年にパリ音楽院が設立されると、ジャダンはクラヴサン(チェンバロ)の教授に就任します。96年以降はピアノに変更されたこのクラスで、ジャダンは女生徒たちを指導しました。
ジャダンは、モーツァルトやハイドン等のウィーンの音楽スタイルの影響を受けており、構築的な作風を持っています。また一方では、他の音楽家と同じように、自発的にか、生き残るためにかは不明ながらも、愛国的な革命歌を作曲し、革命祭典にも出席していました。
1799年に結核を発症し、翌1800年に24歳の若さで亡くなりました。
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22日(日)の演奏会、まだお席がございます。
ご都合よろしければ、ぜひいらして下さい♪
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2024年9月18日水曜日
プレイエル
♪22日の演奏会「フランス革命を生きた音楽家たち」に登場する音楽家紹介♪
今日は、イグナス・プレイエル(1757-1831)です。
ロンドンで師と対決!?
ロンドンでは、クラ―マーの率いる演奏会シリーズ、プロフェッショナル・コンサートで活動します。
フランスに戻って・・・
1795年にフランスに戻ったプレイエルはまずストラスブールに行きますが、革命の影響によって自身の勤めていた大聖堂も含めて教会が非常に荒廃しているのを見て、パリに居を定めることにしました。
2024年9月17日火曜日
フランソワ・ドゥヴィエンヌ
♪22日の演奏会「フランス革命を生きた音楽家たち」に登場する音楽家紹介♪
フルートの音色、技巧を余すことなく生かした作風で、今なお多くのフルート奏者に親しまれているドゥヴィエンヌ。
そのドゥヴィエンヌのパリでのキャリアは、20歳でオペラ座の第5ファゴット奏者に就任したことから始まります。
ファゴット奏者として演奏する傍ら、同じオペラ座の第1フルート奏者、フェリックス・ローの下でフルートの研鑽を積み、後にフルートの名手として活躍するための素地を築きます。
オペラ座を1シーズンで辞めたドゥヴィエンヌは、ロアン枢機卿の下で音楽家として働き始めますが、同時にパリの様々な演奏会で演奏するようになり、特にコンセール・スピリチュエルでは高い称賛を得て、人気演奏家となります。
また、ドゥヴィエンヌは1781年にフリーメーソンに入会しています。啓蒙主義を実践していく場であったフリーメーソンには当時、音楽家も多く入会しており、ブラヴェやゴセック、モーツァルトなども加盟していました。
ドゥヴィエンヌはロージュ・エ・ソシエテ・オランピックというフリーメーソンの中の音楽家の集まり(ロッジ)に属し、このロッジが定期的に開催していた演奏会にオーケストラ奏者として出演していたようです。
このオーケストラの名声は高く、マリー=アントワネットも仲間の貴族らと頻繁に聴きに来ていました。
さて、1780年からロアン枢機卿の下で音楽家として働いていたドゥヴィエンヌですが、1785年に枢機卿がヴェルサイユ宮殿の鏡の間で逮捕されるという事件が起こります。
マリー・アントワネットを巻き添えにした有名な詐欺事件、「首飾り事件」です。逮捕された枢機卿は裁判の結果、無罪となりましたが、国王は枢機卿を左遷し、ドゥヴィエンヌは職を失うことになります。
その後、ドゥヴィエンヌがどのように生計を立てていたのか不明な時期はあるものの、1789年にフランス革命が起きた時には、ドゥヴィエンヌはテアトル・ド・ムッシューという劇場オーケストラの第2ファゴット奏者を務めていました。
そして1790年に、ゴセックが統率していた国民軍軍楽隊に入隊します。ドゥヴィエンヌもまた革命歌を作曲し、そして革命の式典が行われる際には、人々の住む町に出向いて、式典当日に歌うための賛歌を指導したそうです。
そのような革命の渦中にありながら、1794年に1キーフルートのための教則本を出版、そして1795年には、パリ音楽院が設立されると同時にフルートクラス一級教授に就任します。
波に乗っているかに見えたドゥヴィエンヌですが、革命による心労か、精神を病み、1803年に精神病患者を収容するシャラントンの病院で、4ヶ月の入院の末、亡くなります。まだ43歳の若さでした。
2024年9月16日月曜日
フランス革命とゴセック
♪22日の演奏会「フランス革命を生きた音楽家たち」に登場する音楽家紹介♪
まずは・・
フランソワ=ジョゼフ・ゴセック です。
みんなが知っている有名な「ガヴォット」を作曲したゴセックですが、実は、フランス革命と強いつながりを持った音楽家でした。
ベルギー出身で、パリでオーケストラを創設したり、演奏会シリーズ、コンセール・スピリチュエルの理事を務めたりして、フランス音楽界に確かな足がかりを作っていたゴセック。
フランス革命が勃発すると、共和派に強く傾き、国民軍軍楽隊に入隊、中心的存在になります。
大多数の国民が読み書きできなかったこの時代に、音楽の力で革命の士気を高めるために結成されたこの軍楽隊の主な任務は「革命祭典」で演奏することで、そのために作曲された「革命歌」は1789年から1794年までの5年間に2300曲にも及んだそうです。
ゴセックも新体制を称える歌曲、合唱曲、吹奏楽曲などを量産するようになります。
1792年に、軍楽隊員育成のため、国民軍音楽学校が設立されますが、この学校が翌年に国立音楽院に変わり、そして1795年にはパリ音楽院となります。
ゴセックはこのパリ音楽院で視学官、そして作曲科の教授に就任します。
1804年には、その革命への貢献を称えられ、ナポレオンが制定した栄典であるレジオン・ドヌール賞を授かっています。