昨夜、戦争のこととか、その他諸々で、もやもや。
久しぶりに日記でも付けようかと思い、いつからか付けなくなった日記帳を引っ張り出す。
広げてみて、びっくり。
付けていたことすら忘れていたが、ちょうど2年前の4月頃、コロナ禍が始まって、やはりもやもやしていて、日記を付けていたのであった。
そして、そこに書かれているのは、もやもやポイントも、嬉しいと思った出来事も、今とほぼ同じ!
そして、今日、スマホでモズちゃんの動画を撮っていたら、Googleから、”もう保存容量がないから、バックアップやめますよ~”の警告。
焦って、google photosに保存していた写真や動画を削除していて、またびっくり。
ちょうど1年前の今頃撮っていた写真達が、まるでデジャヴかのように、今年の春撮ったものとほぼ同じ。
同じ場所の桜や、習い事の春の通例行事の写真や、イチゴのデザートや・・。
同じことが出来ているなら幸せじゃないか、とも思うが、なんて変わりばえがないのだろう!と驚いたのであります。
でも、オランダでの師匠の言葉を思い出す。
「いつも同じ問いから入って、同じ答えに出る。でもその出口は、いつも前より一段高いところにある。」
そうだ、人生はらせん状、って、養老孟司氏もテレビで言ってた。
私の人生もどんなにのろくても、ステップを上がっていますように、と願った、春の一日。