2021年1月21日木曜日

ハイドン プログラムノート

 12月26日にあった、コルテ・デル・トラヴェルソ vol.10 ~フルート、ヴァイオリン、チェロで聴くハイドンの世界~ のプログラムノートを、こちらに載せておきます。


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F. J. ハイドン:6つのディヴェルティメント】

 フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)については、ここで改めてご紹介するまでもないかも知れません。今では古典派を代表する作曲家として知られるハイドンは、29歳で西部ハンガリーの大貴族、エステルハージ家での職を得て以来、亡くなるまでエステルハージ家の音楽家として過ごしました。

ハイドンと言えば、交響曲や弦楽四重奏曲などをすぐに思い浮かべる方も多いと思いますが、今日はフルートとヴァイオリン、チェロという3つの楽器のために書かれた、編成も曲の規模も小さいけれど、ハイドンの世界を存分に楽しめる魅力ある曲集を演奏したいと思います。

 

 ハイドンによるフルートの室内楽曲は決して多くはありません。本日演奏する「6つのディヴェルティメント」(1784)の他、「チェンバロ又はピアノとフルートとチェロのためのトリオHob.XV:15~17」(1790)と「二本のフルートとチェロのためのトリオHob. IV:1~4」(通称ロンドン・トリオ,1794)を数えるくらいです。(「フルート,ヴァイオリン,ヴィオラ,チェロのためのカルテット」も存在しますが、偽作と考えられています。)

 ハイドンがフルートのための室内楽曲を書き始めたのは、1779年にエステルハージ家の当主、ニコラウス侯爵との新しい契約を交わして以降のことです。この契約で、ハイドンの作品に対するニコラウス侯爵の独占権がなくなり、ハイドンはイギリスやウィーンの出版社と契約を結ぶようになりました。

 当時イギリスは大陸に先駆けて市民革命と産業革命を経験し、ヨーロッパで最も近代的で豊かな国として、特にロンドンでは、生活に余裕のある上流階級の市民たちが様々な演奏会を楽しんでいました。彼らは自らも演奏を楽しみましたが、中でもフルートはとても人気のある楽器でした。 

 「6つのディヴェルティメント」はイギリスの出版社、Forsterのために書かれた作品ですし、他の2つのフルートの室内楽曲も、イギリスの出版社のためか、イギリス訪問中に書かれたもので、やはりこれらハイドンによるフルートの室内楽曲と、イギリスにおけるフルート人気というのは、密接なつながりがあったと言えるでしょう。

 

 さて、本日演奏する「6つのディヴェルティメント」には、ハイドンのオペラ「月の世界 (Il Mondo Della Luna)」と、バリトン・トリオHob. XI:97 からの転用が見られます。転用とは、作曲者が以前書いた作品を取り出して再度利用することで、当時としては全く珍しいことではありませんでした。

 ニコラウス侯爵は宮殿内にオペラ劇場を建てたほどのオペラ好きでしたので、ハイドンも20数作のオペラを書いたとされていますが、その内の一つ、オペラ「月の世界」は、177783日にエステルハージ宮殿歌劇場で初演されました。ストーリーは、オペラに良くあるような恋と結婚のどたばた喜劇なのですが、それが人間の月に対する思いや想像を軸に進められ、物語に格別な奥行きと面白さを与えています。

 ハイドンは、「6つのディヴェルティメント」の第4番を除く5(内、6つの楽章) で、「月の世界」からの転用を行っています。ほとんど手も加えずに転用している楽章もありますし、元がアリアや合唱曲の場合は、かなり手を加えて転用しています。「月の世界」は初演後、エステルハージでも他の場所でも再演されることはなかったということなので、ひょっとしたら、イギリスの出版社との締め切りに追われたハイドンが、以前書いた、一度しか上演されなかったオペラの中から数曲を再利用することにしたのかもしれません。

 「月の世界」の第2幕、冒頭のシンフォニアは、庭に幻想的な月の世界がしつらえてある、という設定の中演奏されますが、この曲はそのままディヴェルティメントの第1番第1楽章に転用されています。今日のコンサートも、この非常に幻想的な、月を想起させるような美しい曲で始めたいと思います。

 ところで、ハイドンがエステルハージ家で初めの頃に仕えていたニコラウス侯爵は、弦楽器のバリトン(6~7本の弦とさらに指板の裏に共鳴弦を持っており、奏者は自分で旋律を演奏しながら左親指で共鳴弦を弾いて“伴奏”することができる)を非常に好んでいました。ニコラウス侯爵はハイドンにもバリトンの曲を沢山書かせましたが、特にバリトン、ヴィオラ、チェロのためのバリトン・トリオは126曲もあります。ディヴェルティメントの第4番(夜公演のみ演奏)は、バリトン・トリオHob. XI:97の全7楽章の中から3つの楽章が抜粋され、バリトンのパートをフルートに、ヴィオラのパートをヴァイオリンに変更しただけで、ほぼそのまま転用されています。滋味深いバリトンという楽器のために書かれた作品がアレンジされたこの第4番は、ディヴェルティメント全6曲の中で、やはり少し違った趣があるような気がします。

   

 今回使用するフルートは、ドイツのドレスデンに工房のあった製作家、A. Grenser8キーモデル(M. Wennerによる復元楽器)です。このよう楽器を多鍵式フルートなどと呼びますが、従来のバロック時代から使われていた1キーのフルートでは指使いの工夫で音を作るため、不安定になりがちだったFB♭、G♯などにもそれぞれに対応する穴を開け、それをキーで操作できるようにしたものです。

ドイツでは1770年代からこうした楽器が作られるようになったと考えられています。イギリスではそれに先駆けてすでに1750年代には多鍵式フルートが作られ始めたようです。ちょうどその頃、イギリスでは産業革命が始まりましたが、楽器製作にも、新たな発明を搭載しビジネスチャンスを狙う動きが生まれ、多鍵式フルートの発展を後押ししました。テオバルト・ベームによって現代のフルートの原型となるベーム式フルートが開発されたのが1830,40年代のこと。多鍵式フルートは、それまでの間、そしてベーム式フルートが本当に世界中に浸透するまでの間、1キーフルートと共に、フルートの歴史の大切な1ページを担い続けました。